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「香港2」
■住宅
今回も住宅地をたくさん歩いた。
シンガポールにせよアメリカにせよ、住宅地がおもしろい。歩くたびに新たなタイプの住宅地に出会うことができる。形態、意匠、プラン、ターゲット層などにおいて特徴がはっきりした一団地が多い。香港はシンガポールほど都市計画がきつくなく、所得のばらつきも大きいから、余計に面白い。
日本ではここまではっきりしたものは見られない。どこに行っても大体住宅地は住宅地である。
初日に、うちの研究室に来ていた留学生のMさん&同僚に現地で会えたこともあり、いろいろな情報をもらえた。
それを交えつつ、都心から順番に。
1.高密下駄履き住宅群
前にも書いたように、九龍地区を占める。必ず下駄履きになっている。
1〜2階の店舗部分の面積が広いものは、縦横に通路を通したひとつの商店コンプレックスになっているものもある。その一角に住居へのアクセスがあったりして、混沌としている。
住戸内には立ち入っていないが、いくつか論文を読んだところでは3DKぐらいの間取りに4世帯が住むようなこともあるらしい。お金のない若い層が住む賃貸住宅とのことだ。
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さらにここに報じられているように、このビル群の屋上には不法のスラム街があるらしい。
確かに、ホテルの窓から撮った写真に写っていた。
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有名なスラム街・九龍城は破壊されたが、こんな眼の届かないところにスラムは残っているらしい。
ちなみに九龍を歩いていると、歩道に水がポタポタと落ちてくる。空調室外機を通り側に設けているからだ(後付だろう)。ポタポタがつくる街並み。
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2.フライド・ポテト並の細い住宅
これも前書いたように、香港島の斜面地にニョキニョキ生えている。
その地域の不動産屋の店頭を見るに、100uで1〜1.5億円ほど!T京より高い。
あんなに細いのに…。
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3.山頂の別世界
香港島ついでにもうひとつ。
前回書いた、俯瞰の「ベタ」を撮れるスポットは、香港島の山頂。そこは観光客ゾーン。
そこから少し道を進むと、一転、超高級住宅街に入る。木々に包まれ、海を見下ろす。「贅を尽くし、海へと君臨する私邸…」なんていうありがちなキャッチがリアルに似合う。
「アジアン・モダン」な感じの意匠が目立ち、また意外にも集合住宅、長屋形式が優勢。
もちろん敷地ごとに守衛さんがいて、丘を下るマイクロバスもある。
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ここは中国本土や諸外国の人の別荘地になっているそうだ。
4.九龍の高級住宅地
九龍にもあります、高級住宅地。
なだらかな斜面地には高級住宅地が似合う。
3層程度のゆったりとした集合住宅が主流。緑が多くてキリスト教系の施設も点在。
お値段はやはり平米あたり100万円が相場で、フライド・ポテト地区と似たようなものだ。
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5.古い団地
その高級住宅地の近くに、古い団地がある。
昔この一帯には都心に住めない人のスラムが形成されていて、そこが大火で焼けた後、団地になった。香港一古い政府住宅。
今は静かなもので、壁も塗り替えられて芸術家村に変化してきているそうだ。日本でも団地再生の試みは盛んだけれど、都心に近いだけに香港の方が価値付けしやすそう。
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こういった団地でもやはり1階には店舗群がある。近代建築の原理と地べたの文化とのマッチング。
6.新興住宅地
狭い香港とはいえ、都心と呼べるのは九龍地区と香港島北部に限られる。そこから放射状に伸びる電車に揺られて数十分行けば、新興住宅地。はい、この光景。
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シンガポールで見たのと変わり映えがしない。電車の駅から地域内ループトレインが出ているのも一緒。なんとも言えない。Mさんも結構ボロカス言っていました。
この光景が香港国土に点在する。きっと中国の将来像でもあるのだろう。
価格の相場は100uで5,000万円ぐらいか。それでもやはり高い。
香港では公営賃貸住宅に入るための所得制限が厳しいらしく、ある程度所得があると高い家を買わないといけないそうだ。我々の同年代の苦悩が目に浮かぶ…。頑張れMさん!
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「香港1」
もう2ヶ月経つけれど、香港について書きます。
今回は研究室の調査旅行ではなく、UDS同期の中目黒コンビとの3人旅。とはいえ、もちろんそれだけでは勿体無い。2日間前乗りし、またひたすらに歩き回りました。
最終日のアレを除いて、非常にいい旅になりました。
例によって、(半ば自分のための)まとめ。
■雰囲気
これで幸いにも、よく比較される上海、香港、シンガポールの三都すべてに訪れることができた。
上海ではあまりの雑さに辟易とした。
シンガポールでは想像以上に整っていてかっこいいので驚いた。
香港はちょうどその間。雑多なパワフルさと近代的なシャープさがうまく共存している。三都の中ではもっとも居心地のいい街だと感じた。
そして香港は、イメージ通り、香港だった。通りにオーバーハングする派手な看板、海峡越しの夜景。そういった「いかにも香港」の情景が、観光用に切り取られるのでもなく、当たり前に存在している。
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これでしょう

これでしょう2
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■エリア
中国本土とつながる九龍半島、その対岸に浮かぶ香港島の北部。この対峙する2エリアが中心になるが、カラーがはっきりとしている。
九龍側は看板だらけのパワフルエリア。中層の下駄履き住宅がひしめき合うように建つ。
京都では通りの幅が様相に大きくきいてくるが、ここではあまり関係がない。大通りであろうがなかろうが、とにかく並び建つ。
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同じ業種の集まる通りがいくつもある。
宝石、花、台所用品、金魚とペット、ハンコ…。生鮮食品オンリー、あるいは安物雑貨オンリーのマーケット。日本でも秋葉原や道具屋筋などに見られるけれど、純粋度合いが全く違う。
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 野菜のマーケット
 金魚街にて
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大型商業ビルも次々にできているようだけれど、まだまだ小売店が元気。商品にもよるけれど、スーパーとの価格競争ではまだ負けていないそうだ。加えて外食文化も強い。それが街並みの活気につながっている。
方や香港島、近代的なビルが建ち並ぶ。シンガポール同様にクオリティは高い。
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通りの真ん中にはうすっぺらいトラムが走っている。猫の額ほどの平地の、うすっぺらいゾーンを走っている。
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ビル街の裏手にはすぐ、坂がはじまる。
無秩序に錯綜する坂道。とにかく歩いていて楽しい。いろいろなシーンが次々と現われる。
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すごく細長いビルが並ぶ。フライド・ポテト級。
いくら地震がないとはいえ、こんな家を買いたくないというのが我々3人の一致した見解。
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歩道にエレベータがあるのには驚いた。
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昼寝もしている。ちなみに僕が「パタン・ランゲージ」で一番好きなのが、「94.人前の居眠り」だ。
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この坂道エリアから登山電車が出ている。山頂へ。
これまた香港らしいベタな風景が見える。
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 昼のベタ
 夜のベタ
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それにしても美しい景色だった。ただ時間が過ぎ、海峡の船の往来を眺める。これはどこかで見た構図だと思ったら、尾道だった。
ニューヨークのブルックリン、シアトルのガスワークスパーク…。水越しの視点場はいつも魅力的。
今日はこのあたりで。
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「被災地視察」
先日、東北地方の太平洋側沿岸部に、視察に行ってきました。
アノ大震災後、うちのシェアハウスで仙台からの女性三人を受け入れたものの、その後は結局何もできず、ただ自分の生活を送っていました。
そんな不謹慎な…、否、実際は不謹慎ともなんとも思っていない日々が続いたのですが、今回は何もできないにしろ、建築セクターの人間として、将来何か役立てられればと思い、せめて視察を、ということで出かけたわけです。
研究室メンバー3人、そしてうちのシェアハウスに来た後京都に住んでいらっしゃるMさんと。Mさんのお宅に泊めていただきながら、レンタカーで視察をしました。
以下報告。
仙台の中心部は、何事もなかったように元気だった。ボランティアの方や企業の復興舞台が仙台を拠点にしているから、金曜日の夜などは特に居酒屋もいっぱいになるらしい。
住宅地ではブルーシートを被せた家がぽつぽつと見られる。また外観は健全に見える家も、全壊、半壊判定が出ているそうだ。
沿岸部へ徐々に車を進めると、次第に様子がかわる。耕作放棄された田畑があらわれ、家の密度が減り、やがて瓦礫の街へ。
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(以下仙台市若林区)
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木造住宅は基礎から土台が引き剥がされ、丸ごと持っていかれている。元の間取りが大体わかるのが痛ましい。
なんとか流れなかった住宅も、とても住める状態ではない。
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鉄筋コンクリート造の建物は、雑壁も含めてしっかり残っている。
鉄骨造は骨組みだけが残っている。
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この地域は2階部分は窓ガラスなどが無傷で、2階レベルあたりまでの水だったようだ。仙台空港ではそのラインが示してある。
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コンビニエンス・ストアーで「復興支援マップ」という便利な地図を購入した。沿岸部の詳細マップで、津波の到達範囲がオレンジで示されている。オレンジの範囲では、家の倒壊がない場所でも、木々の多くが枯れて茶色に変色しているのですぐにわかる。
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瓦礫の撤去、収集が進んでいて、海浜公園などにうずたかく積み上げられている。木材、金属類、布団など…と、分類されている。リサイクルされるのはいつの日か。
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(岩沼市)
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次の日は、リアス式海岸方面へ。
仙台から多賀城〜塩釜〜松島〜東松島〜石巻〜女川〜南三陸〜気仙沼まで。
山々の間を抜けると市街地が見えるが、かなり酷いやられようだった。
残っているものも5階レベルまで窓が割れ、まるごと倒壊している鉄筋コンクリート造建築もある。凄まじい。
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(南三陸町)

(女川町)
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岸壁の多くは陥没して水に浸かっている。潮のリズムに合わせて小さな波が起こり、魚も泳いでいる。
南三陸では、立派な堤防も崩壊していた。
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(女川町)

(南三陸町)
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川沿いなど深く山側に奥まっている平地部分でも、津波が到達して破壊されている。こんなに遠いところまで…と驚く。 あるラインから上では無傷の住宅が残る。
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(女川町)
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道路にも瓦礫が散乱し、あるいは土砂が堆積してボコボコと穴があいている。
主要な道路は応急措置で復旧されている。大変だっただろう。
大型トラックと多数すれ違う。重機もいくつか動いているが、仙台平野よりも手付かずの部分が多い。
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(東松島市)
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また報道では、「石巻市」「南三陸町」などとひと口に扱われる傾向があるが、実際は、無数の小さな集落が集まって一つの自治体となっている。
小さな集落は状況がより酷い。ひとつ訪れた、女川町竹浦という集落の一部は、10戸程度の住宅があったが、なんとそのうち3戸が、文字通り「逆立ち」した状態で転がっていた。
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松島は話に聞くとおり、以前訪れたときとかわりがなかった。天然の防波堤の力。
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仮設住宅は、集合規模の大きくないものが分散的に見られた。またお店ではコンビニエンス・ストアーが元気だ。津波被災地域でも次々と再開している。地域生活や復興を支えているのだろう。
以下、感じたこと、考えたこと。
誤解を招きかねない表現をしているけれど、誤解のないように読んでいただければ幸い。
正直に言うと、実際に見て、思ったほどショックはなかった。そういうものとして、受け入れられた。
3月11日にあの映像を見たときの衝撃、その後数週間の胃がきりきりするような不安に比べると、何のショックもなかった。
空間は、よく、わかった。
仙台の街は元気で、石巻も内陸に入った国道沿いは何事もなかったかのよう。しかし沿岸部に向かうとあるところで感じが変わり、あるいは急に視界が開け、そこに「被災地の風景」が広がる。
平時の街と被災地という、世界同士が空間的に連続しており、なおかつ状態としては不連続になっていることが、身をもってよくわかった。報道を見るだけでは点々でしか理解できなかったのだ。
しかし、時間はどうだろうか。
震災後5ヶ月を経た風景は、どうにも空虚で、人間の匂いをあまり感じなかった。住宅地にも耕作放棄の農地にも、雑草が生い茂り、その境界をわからなくしている。時間的風化の象徴だ。
また瓦礫撤去の進んでいる仙台平野部は特に、「意外と整っている」ようにさえ見えた。
Mさんや、そのお友達の方々と一緒にお酒を飲む機会があり、生々しい体験談をいろいろと聞かせてもらった。仙台平野も、暑くなり始めた5月頃は腐臭で酷かったそうだ。そして何しろあの強烈な揺れ、物資不足の日々を体験された。Mさんも京都に来たとき、「地面が揺れないのが不思議、別世界」と盛んにおっしゃっていた。
しかし僕は、8月の末に初めて現場に立った。時間的連続性は全く持ち合わせてない。
だから、正直、被災者の方の気持ちはわからない。わからないということが、よくわかってしまった。
頭では理解できても、共有はできない。共有なんて、そんなに軽々しく言えたものではない。
圧倒的な恐怖、悲しみ、そして復興への想像を絶する作業量…。同じ日本人がそんな状況に立っていることは、不思議でさえもある。
同様のギャップは、被災者間でも生まれているそうだ。
仙台中心部の人は、震災は「ある程度」過去のことだと考えているらしい。沿岸部の人は未だ苦しみの真っ只中。福島の原発周辺の人は、また違った問題に悩まされている。
人同士の連続と不連続が、当たり前に横たわっている。
僕の住んでいる京都でも、非常に活動的な人もいれば、関心のない人もいる。日本人それぞれが、震災のことを抱きながらも、自分の日々を送る。国会議員にとっては、党内抗争も大事なのだろう。
そんな状況が、今の日本の、なんとも言えない感じを作り出していると思う。
現場で復興に精を出しておられる方々には、ただただ、頭の下がる思いだ。でも京都からできることは、(多大な労力をかけない限りは)やはり少ないことがわかった。僕はまた、別のかたちで社会貢献をせねば…という思いを強くした。
それは、日本の街をよく知り、そしてよりよくしていくという、震災復興ほど緊急性はないが、これはこれで難しい仕事になりそうだ。
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「ニューヨークの建築」
ニューヨークから無事に帰りました。1ヶ月ぐらい行っていたような、濃厚な時間でした。
帰ってきて1週間、ぼちぼちと調査のまとめをしたり、次の学会へのプレゼンテーションをつくったりしています。
「錯乱のニューヨーク」がとてもよい。自分の研究にとってもジャストのタイミングで入ってきた。
シンガポールについての文章も冴えていましたが、コールハースは建築より文筆家の方が才能あるのでは、と思ってしまう。(建築は雑なんですよね…)
さて建築の話ついでに。
シカゴでは、ライト、ミースからゲーリー、ピアノまで、あらゆる巨匠を無視してしまったのですが、ニューヨークではいろいろ見ました。
■ニューミュージアム
ギャラリーを縦に積み上げたような構成。
階ごとの関係性をほとんど絶っているので、階ごとに1アーティストで、明確な世界観ができていた。
外形とコアの関係によって微妙な隙間が生まれ、その隙間によってわずかに上下階をつないでいる部分があり、空間的におもしろい。
順路がなくて階段は狭い、搬出入の大きなエレベータを客動線にも使っている、床や天井の仕上げを荒くしてあるなど、いい感じの雑さで、まるでコンバージョンの味わい。
それがニューヨークらしいし、コンテンポラリーアートとの相性をよくしているように感じました。
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■グッゲンハイムミュージアム
あの螺旋の見上げのイメージしかなかったけれど、その螺旋の中の空間体験がよかった。傾斜がぬめぬめと上がっていく。角も丸く仕上げてある。
その傾斜から離脱したギャラリーもいくつか誂えてあって、離脱→再合流の流れ。
僕が行った時にはわりとコンサバな展示だったけど、吹き抜けに大きな作品をたらしたり、螺旋に巻きつけるようにグラフィックを配したり、面白い使い方をされているみたい。ライトの空間はわりとアクがあるけれど、ここはうまく使われる可能性のある空間のよう。
それにしても手すりが低くて怖かった…(900〜950mmぐらい)。あの螺旋に吸い込まれてしまう人はいないのだろうか。
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■MoMA
さすが谷口建築の端正さ。大きな吹き抜けを利用した視線の抜き方、中庭への借景の取り方など、よかった。
しかし企画としてどうなのだろう。ちょっと大きすぎて、歩くだけでも疲れる。正直な印象としては、アートの大安売り。
多種のカテゴリーの展示が割と連続的につながっているけれど、訪れるそれぞれの興味によって選択できるディレクションとか、パスを数日有効にするとか、大きさなりの工夫が必要に感じた。
会員制はその意味だろうけれど、旅行者には高い。
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■リンカーンセンター
シカゴの学会で友達になった台湾からの留学生が、ニューヨークの近くに住んでいるというので、ニューヨークでも会うことになった。
その彼が研究対象にしているということで、リンカーンセンターを案内してくれた。
かなりよい!
フィリップ・ジョンソンら3人の建築家の設計した3つの白い建築が広場を取り囲む。ニューヨークの街の喧騒に接しながらも、ここだけ別の空間になっていた。
コールハースも、「マンハッタニズムの終焉」を示す場所の一つとしてここを扱っていた。
センター自体はシアター、バレエホール、ギャラリーなど現代芸術の複合体で、隣のブロックに学校も付属していて、かなり大きなコンプレックスとなっている。
その一帯のランドスケープ、動線計画の改修が昨今行われて、それについて、その留学生の子は研究しているようだ。京都会館あたりにも使えそうな考え方だが。
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■TWAターミナル
JFK空港の第5ターミナル。成田への出発前に時間をとって、見に行った。
エアトレインから見るだけでも、小さいけれど存在感のある形態。
どうにも工事中だったようだけれど、幸いセキュリティが甘く、ドアが開いていて、すっと入ることができた。と思ったら、そこにいたおっちゃんにすぐにロックアウトされた。
内部の印象は、大迫力というより、意外とヒューマンスケール。手の跡が感じられる、親しみのある曲線美。
おそらく現代の空港としては機能を果たさないのだろう、今はそのガラスの開口面の先に新しい大きなターミナルが建てられている。
でもこの不思議な空間で出発待ちのお茶でもしてみたいと思いました。
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ああ、ひさびさに建築について書いたなあ。
まるで建築の学生みたい…。
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